浜崎茂

FREE MASON

上告理由書

最高裁判所 御中          平成27年7月27日

日本国憲法が国家の最高法規であることから、その前文の第一行目に記されている、「日本国民は、正当に選挙された国会の代表と共に行動し」の箇所が、仮に「正当に選挙されていない国会の代表」であった場合、「法律,命令,詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は,その効力を有しない」となるため、『正当に選挙されている』ことが立証されなければ、国会の代表が定めた法律に従うことは憲法に違反する可能性の高さを意味し、原判決は無効となり得ます。
憲法は、何よりもはじめに、『正当に選挙されること』を望んでいて、
この入口を通らずして下される、立法、行政、司法のすべての判断の正当性は必然的に不足します。
『国の未来、人々の未来、世界の未来を作り上げる選挙』に関する訴訟は、犯罪や事故等の裁判とは質が異なり、格段の注意を要し、その理由は、そういった様々な社会の問題の原因に当たるものだからです。
提出した原告の訴状において、選挙に関する重大な憲法違反を指摘しているにも関わらず、一切審査しない判決というのは裁判官の傲慢さから来る『聞く力』の喪失を意味し、子供の話しを聞かない親に等しく国民を不幸にするものであり、且つ、過去の戦争に対する反省と未来の平和に対する誓いが述べられている憲法の精神からかけ離れています。
憲法の精神に背くことは、憲法違反の中でも最も重いものです。

『正当な選挙』を検証するには、公職選挙法の一切がその物差しとはならず、今が終戦直後であると仮定し、憲法の精神に従い、物事の道理のみを頼りにしなければならないことになります。
公職選挙法は、憲法の精神に則っていません。
バットやグローブ等を使用すればそれはサッカーではなく野球である
と容易に判断できるように、名前の連呼や無数の看板等々から、それは選挙ではなく洗脳ゲームであることが明らかだからです。
憲法が選挙を、純粋な『選び』と捉えているのに対し、公選法は、自由な『争い』と捉えて作成、改正されてきたために、日本の選挙は選挙と呼ぶことすら困難な状況に陥っています。
「ボールを投げるスポーツは野球だ」とは限らず、バスケットボールやラグビーがあるのと同じように、「票を投じれば選挙だ」という安易な定義は成立しないのです。
どれだけ昔から多くの人々が信じてきたことでも、しっかりと検証してみると事実は異なった、ということはあるもので、それが日本の選挙です。
日本では、洗脳や集団心理が教科化されているわけでも、国民は脳科学者やメンタリストでもないため集団催眠の罠に陥りやすく、実年齢と精神年齢が比例していない人々が数多く見受けられます。
「選挙はほぼ正当に行われている」という立場に立ち、法を作り、従い、裁いてきた人々(立法、行政、司法)にとって、「選挙はほぼ不当に行われてきていた」ということを認めることは非常に受け入れ難い事実なので、憲法違反となる原判決が下された理由は、『臆病』になります。
権力者の『臆病な判断』が、憲法違反の最たるものです。

≪『一票の格差』は違憲状態とする最高裁の判例がある以上、原告が高等裁判所に提出した訴状において指摘している『候補者が隠れる問題』は、確実に、憲法違反です。一票の格差の大小に関わらず、絶対に、出馬している候補者以上の政治にはならず、変化や成長の可能性を0にしてしまうことになりかねないからです。≫
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07/27(月)01時27分 |未分類コメント(0)トラックバック (0)
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